Category Archives: フトバ

2012年8月10日(金)フトバ 「イスラームにおける同胞愛」

「イスラームにおける同胞愛」(’12年8月10日フトバ要約)   今日のフトバでは、イスラームにおける同胞愛がテーマです。イスラームの基本的な土台と柱の一つこそ同胞間の付き合いの良さです。同胞愛の 規定を生活に適用し、実践しない限り、私たちの信仰(イーマーン)は完全ではないし、超越せしかな至高なるアッラーが それに満足なさることはないでしょう。イスラームにおいては、人間が社会の中で他の人から 評価されるような重要な役割を果たすべきであるという規定があります。いわば、ムスリムが同胞として他のムスリムに手助けをするような同 胞愛についての規定があるのです。人間は血族という教義の同胞愛というものを知っていますが、親近感を血族以外の赤の他人に押し広げるこ とはもちろん困難なことです。しかし、イスラームにおける同胞愛の義務は血族として当たり前の義務を超えていくものです。ではどのように 実現したのでしょうか。   聖預言者(النبي صلي الله عليه وسلم  彼に平安と祝福あれ)が、素晴らしいことにアル=マディーナ(都市の名前)に移住した後になさった素晴らしいことの一つに、全てのムスリ ムの間で義兄弟の契りを結んだことがあげられます。その当時、アル=マディーナで長らく二つの部族の相争っていたことが有名になっていま した。それを一つにしてしまうのはイスラームを置いて他にはないのではないでしょうか。聖預言者(النبي صلي الله عليه وسلم 彼に平安と祝福あれ)は、マッカからの移住者とアル=マ ディーナの生え抜きのムスリムそれぞれ二人に義兄弟の契りを結ばせたのです。聖預言者(النبي صلي الله عليه وسلم 彼に平安と祝福あれ)がサハーバ(教友)の同胞愛を実現させた歴史的事実とそれを実現させた手 法は興味のつきない我々の語り草になっています。現代の歴史家すらイスラーム初期の同胞意識形成の在り方について学び続けています。この 素晴らしい同胞意識は次のような成果をもらしました。   1.  ムスリムは他のムスリムの義兄弟である。 2.  全てのムスリムの間で差別があってはならな い。 3.  全てのムスリムは平等であり、あるムスリムが 別のムスリムより優良であるということはない。 4.  私たちの階級はアッラーのみがご存じであり、 アッラーの畏怖のみに応じている。 5.  ムスリムは他のムスリムに共感しなければなら ない。 6.  ムスリムに孤独を感じさせるようなことが決し てあってはならない。 … Continue reading

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2012年7月20日フトバ ラマダン 〜変身の月

ラマダーン:変身の月 ラマダーンの徳 ラマダーンは私たちの多くにとって毎年去来することが至極当然の月です。ウンマの先人達はいつもラマダーンには祝福された斎戒をしていたのかもしれません。そして、私たちの中には今年が最初のラマダーンの方がいらっしゃる方がいらっしゃるかもしれません。世界中のどのムスリム共同体や個人でも大切にすべき祝福された月であるという共有認識があり、時を超えてその月の間勤行に励む伝統を個人と公共を問わず育んできました。 これらの伝統の中にはラマダーンが近づいてくる度に熱狂と興奮が高まらせていくすばらしいものがあります。しかしながら、多くの場合、この祝福された月の本質からそらさせるものもあるのです。  ラマダーンについての美しいハディース(預言者の言行録)を引用しましょう。 サハルرが伝えるところによると、聖預言者صذはおっしゃいました。「アッライヤーンと呼ばれる門が天国にある。斎戒者は復活の日にその門を通して天国に入る。斎戒者をおいて他にその門から入る者はいない。その門は「どこに斎戒者はいるか?」と呼びかける。彼らはそれに応え、そして、彼らを除いてその門にはいる者はいない。彼らが入ってしまった後、その門は閉まってしまい、誰もその門から入る者はいない。  沢山の秘宝がこのハディースの中に隠されています。例えば、ナフス(自我)の描写のように。しかしながら、アッラーの目(ムラーカバ:アッラーに常に見られているという意識からくる畏れと規範意識)といつもより倍加される報奨における聖なる月の美徳が本当の主題なのです。このようなあアハディース(ハディースの複数形)は誠実な熟考をすると、だんだん、サハーバと聖預言者صが毎年来ることを心待ちにし、そして去ったことを悲しむ理由がわかってきます。 ラマダーン月における斎戒 ラマダーンは善行や悔悛が明らかに増える時期ですので、充電の月と言ってよいでしょう。ラマダーンの間ムスリムは斎戒が命じられています。斎戒の目的について以下のクルアーンの節が説明しています。 「おお、信仰者達よ、お前たち以前のものに定められたと同様に、お前たちに斎戒が定められた。 お前たちは主を畏れるであろう。(2:183) 斎戒はしもべと創造主を結びつける特異の崇拝行為です。食事、飲み物、欲望、悪行を抑制して、常にウブーディーヤ(しもべ性)の中に身を置くのです。確かな証拠に基づいた斎戒は自身の体を健康にし、戒め、浄化します。そして、性格を磨きます。故に、ラマダーン前から私たちを変身させるのです。アッラーの深い英知の慈愛によるものとしか思えないのは、通常できそうにないこの浄化の過程を少なくとも一年に一回持つということが求められているということです この月はすべからくハラーム(禁止事項)から身を引いて守ることに最善を尽くすことが私たちにとってよいことなのです。そして、イバーダ(崇拝行為)を増やしてきます。しかしながら、この月にえてして怠けたくなりそうなときはあるものです。すると、結局、以前の悪習に舞い戻ってしまうことになります。シャイターンの罠にはまるなら、ラマダーンから福利をえたと本当に言えますか。ラマダーンは宗教における前進するためのとっかかりです。イスラーム的人格を形成することそのものです。 Ramadhan: The Month of Change The Virtue of Ramadhan Ramadhan is a month that many of us have witnessed come and go; year after year. The Older … Continue reading

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2012年6月15日 フトバ

2012年6月15日 フトバ   慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において   今日のフトバでは、前回お話した「ラーイラーハイッラッラー(アッラー以外に神はなし)」とその言葉が人の行動やマナーに与える影響についてお話したいと思います。  まずはこの偉大な言葉を全ての人類に伝えるためにと、アッラーは全ての預言者に託したという事を知るべきです。そしてもし私達がこの言葉の意味を本当に理解したのならば、私たちは欠けているところの何もない真のムスリムになります。このことを証明するアーヤ(節)は偉大なるクルアーンに沢山あります。 例えば 第7章 高壁章 59節  先にわれはヌーフをその民に遣わした。彼は言った「私の人々よ、アッラーに仕えなさい。彼の外に神はないのである。本当に私は、偉大な日の懲罰をあなた方のために恐れる。」  全ての預言者様達、預言者ノア様からわれらの預言者ムハンマド様(平安と祝福が彼の上にありますように)までに送られてきているそのメッセージは、「ラーイラーハイッラッラー」です。アッラーの全ての預言者達は彼らの人々にこのメッセージを信じるようにと、アッラーから命令を受けたのでした。ここで私たちが注意しなければいけないのは、「信じる」ことの意味です。ただ口先だけでこの言葉を言うのは十分ではないからです。それではこの言葉を信じることの利点を見ていきましょう。まずこの言葉は私達にアッラーが誰であるかを教えてくれます。アッラーの名前や特質を知ることは、限界ある私たちの理性にとっては大きな援助です。一度私たちがアッラーの特質の深い意味ををはっき りと実感し感じたならば、私たちは確実に心の中の平安に満ちた静けさと、安心を得るでしょう。そうなれば、私たちがこの世で出会うどんなことも、私たちをがっかりさせたり、失望させたり、ストレスな人生という事はまったく感じないでしょう。何故でしょう?答えは単純です。だって私達一人一人にはどんな状況でもその知識によって、私たちのことを聞いてくださり、知っていてくださる、そして私たちの呼びかけに対し答えてくれる、なによりもこの宇宙全体で最高度の完全な力を持ったお方、私たちの主がいつも私達一人一人と一緒なのですから。このような感覚や信仰はあなたを幸せな気持ちにしませんでしたか? 私たちのうちこう思う人もいるかもしれません。「どうしてこのような話を人生で昼も夜も繰り返すのか?」  繰り返すことの英知は、それらの良い言葉や話がどれだけ私たちの人生に必要か?という事に親密に関わっているように思われます。例えば私達は生きていくための活力を得る必要がありますから一日に3回、時にはそれ以上食事をしますよね。同じように、真の人生を得るために、私達は、この良い言葉を昼に夜に思い出し、口にする必要があるのです。そうすることで、私達の人生はこの宇宙にある他の生物と美しい調和でいけるようになるでしょう。

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イード(断食明け)フトバーEid al fitr khtba 1432H by Dr Ahamad Al-Khulaihy (翻訳:サキーナ)

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ビスミッラーヒッラフマーニッラヒーム  アッラーフ アクバル、 アッラーフ アクバル、アッラーフ アクバル アッラーにこそ、すべての賞賛あれ! 私たちは、アッラーに悔悟し、アッラーにお許しを求めます。 数え切れないほどたくさんのお恵を与えてくださったアッラーに感謝します。 私は、アッラーのほかに神はなく、ムハンマドは、彼の僕であることを証言します。 人々よ、アッラーを畏れなさい。私たちが、このラマダン月を終了した報償として、このイードの日を与えてくださったことに感謝します。 イードの日は私たちの心を幸福と喜びでいっぱいにしてくれます。この日は、ムスリムが皆でマスジドに行き、アッラーに感謝し、ラマダン中にアッラーのために努力した行為をアッラーが受け入れてくださる!という希望に満ち溢れた日だからです。 アッラーフ アクバル、アッラーフ アクバル、アッラーフ アクバル! ムスリム兄弟姉妹の皆さん、 私達の宗教を誇りに思いましょう!アッラーはイスラームを完璧なものとし、あなた方のための教えとしてイスラームを選んだのです。 この宗教は私たちに最善のモラルをもつように、そして罪から遠ざかるようにと教えています。これはアッラーからのご命令です。 ハディースでも、預言者様はこう言っています。 「本当に私は最良のモラルを完成させるために、遣わされました。」 又は、こうもおっしゃいました。 「あなた方ので最良の人は、最善のモラルを持った人々です。」 そして、彼はこうもおっしゃいました。 「信者で最良のモラルを持ったものは、信者で礼拝と断食を沢山する信者が得る報償と同じものを与えられるでしょう。」 ラーイラーハイッラッラー、 何とすばらしい宗教でしょう! アッラーの僕たちよ、この宗教にしっかりと縋りつきなさい。 そうすれば、あなた方は救われるでしょう。 この宗教に従えば、まっすぐな道に導かれるでしょう。 あなたがこの宗教のやり方に従ってアッラーを信仰するならば、あなた方は皆幸せになれるでしょう。 アッラーは聖なるクルアーンでこう言われています。 「誰でも良い行いをし、信仰者であれば、男でも女でも、われは必ず幸せな生活を送らせるであろう。なおわれは、彼らが行った最も優れた行為によって、報償を与える。」 親愛なるムスリム兄弟姉妹の皆さん、 人々に真のイスラームを、イスラームの美しさを伝えましょう。 あなたの言動によって。あなたの良いモラルによって。あなたの行為によって。 どうかそのモラルから離れていかないように、十分注意してください。 そしてアッラーが禁じたものの罪から遠ざかりましょう。 注意してください! イスラームの教えを知っているけれど、その教えにそって行動しない人々の中にいることを。 アッラーフ アクバル、アッラーフ アクバル、アッラーフ アクバル 親愛なるムスリム兄弟姉妹の皆さん、 あなたの子供たちに注意を払ってください。 あなたの家族に注意を払ってください。 あなた自身にも注意を払ってください。 アッラーを畏れることを忘れないように。心の中でひそやかに、そしてオープンに。 預言者ムハンマド様(サッラララーフアライヒワサッラム)のハディースを思い出してみてください。 「5つのものがなくなる前に、5つのものを使いなさい。 … Continue reading

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「ジハード」の真の意味とは??

<過去のフトバより> イスラームにおけるジハードとは単に戦いとか苦闘とかいう意 味ではありません。本当の意味はアッラーのために努力するこ とです。ジハードという言葉自体に奮闘や努力するという意味 がありますので、学生の努力、政治家の努力など、ジハードの 例として挙げられ、日常生活での努力もジハードといえます。 一般的にもこの言葉はよく使われますが、イスラームにおいて も、クルアーンの中によくでてくる言葉です。 ジハードはアッラーから私たちに義務付けられたものなので、 それの本当の意味を理解しなければならないです。特に私たち は日本という非イスラム教国に住んでおり、ほとんどのイスラ ム教徒でない人々はジハードが戦争やテロであると思っている 状況です。それゆえわたしたちは明確な意味を理解する必要が あり、今日は皆さんにこのフトバでジハードという言葉の本当 の意味をお伝えしたいと思います。 さまざまなジハードをいくつか紹介しましょう。 1.全宇宙の創造主を認め最も愛すること。 目に見えないものより、目に見えるものや五感で感じられるも のを愛するのが人間のサガです。全宇宙の創造主または唯一神 アッラーは目に見えるものではないので、つい無視したり存在 を認めたがらないものですが、クルアーンでは存在を信じるよ うに諭しています。 2.アッラーの教えを優先的にするために毎日努力すること 3.何があってもまっすぐな道を断固として歩めるようにする こと。 この世界はイスラム教徒ばかりがすんでいるわけではなく、様 々な人種や様々な宗教または様々な考え方を持つ人々が存在し ますので、もし道ではないことを薦めるひとがいても、たとえ それがあなたの両親であっても従うべきではありません。 4.アッラーはクルアーンの中で明言しています。「アッラー のために努力すれば必ずアッラーの導きがある(クルアーン2 9章69節)」 そのほかには、ハッジ(マッカへの巡礼)や両親によくつくす こと、圧制を行う暴君に対して正しい意見を言う努力や、自ら の望みをかなえるためにする努力もジハードのひとつです。 西洋諸国ではジハードは一般的に「聖戦」と訳されることが多 いです。これはメディアによって広められてきました。イスラ ムの教えによれば、戦争を始めることは聖戦ではありません。 しかし正義をもって正当化される戦争もいくつかあるのも事実 です。イスラム教徒にとってジハードという言葉は努力という … Continue reading

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